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福岡高等裁判所宮崎支部 昭和57年(ネ)17号 判決

控訴人 清家静太郎

右訴訟代理人弁護士 中山敬三

被控訴人 株式会社宮崎相互銀行

右代表者代表取締役 黒木勝

木村榮一郎

右訴訟代理人弁護士 小倉一之

主文

原判決を取消す。

被控訴人は控訴人に対し金二二〇万〇五四七円及びこれに対する昭和五四年七月一一日から完済まで年六分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

この判決は第二項に限り仮に執行することができる。

理由

一  請求原因事実は当事者間に争いがない。

二  そこで、抗弁について判断する。

1  抗弁1の事実は当事者間に争いがない。

2  次に抗弁2の(一)ないし(四)について順次判断する。

(一)  右(一)(振出行為)について

乙第一号証の一(本件手形の振出部分)の控訴人名下の印影が控訴人の印章によるものであることは当事者間に争いがないけれども、後記認定のとおり、右印影は控訴人の意思に基づかないで顕出されたもので、乙第一号証の一は控訴人の弟得央によつて偽造された手形であるから、乙第一号証の一は右(一)の事実を認むべき証拠となし得ず、他に右事実を認むべき証拠はない。即ち、乙第一号証の一(本件手形の振出部分)の作成経緯等についてみるに、控訴人が海運業を営むものであること、控訴人が妻カヨ子に自己の印鑑を預けていたことは当事者間に争いがなく、右事実に、≪証拠≫、乙第一号証の一の存在を総合すれば、控訴人はかねてより海運業(砂利採取運搬業)を営み、右事業のため昭和五〇年ころから妻カヨ子に会計事務などを担当させていたこと、そして、控訴人が右事業の性質上遠隔地に長期間出張する関係もあつて、妻カヨ子が控訴人の印鑑(取引印)を預かり、控訴人の指示により、右印鑑を使用して控訴人名義の取引書類を作成し、また、控訴人が裏書欄に署名してから同女のもとに送付してきた受取手形について、その裏書欄の控訴人名下に右印鑑を押捺したうえ、これを取引銀行である被控訴人の佐伯支店に持参して手形割引をして貰つたり、関係業者に対し債務弁済のため交付したりしていたこと、しかるところ、昭和五三年一月ころ、右カヨ子は控訴人の弟得央から「世話のない手形に使用するものであり、迷惑をかけない」旨いわれて控訴人の右印鑑の寸借を頼まれた際、ついその言を信じ、得央が権限なくして右印鑑を用いて控訴人名義で手形行為をすることを知りながら、得央に対し右印鑑を貸渡したこと、そこで、得央は乙第一号証の一の振出人欄に控訴人の住所氏名を冒書し、その名下に右印鑑を冒捺してその印影を顕出し、もつて、乙第一号証の一(本件手形の振出部分)を作成してこれを偽造したうえ、親和興業に対しそれが真正に作成された手形であるかの如く装つて交付したことが認められる。右認定に反する証拠はない。しかして、右認定事実によれば、本件手形は、控訴人の弟得央において控訴人の印鑑を冒用して権限なくして振出した偽造の手形であつて、控訴人の妻カヨ子は、得央が右印鑑を冒用して権限なくして控訴人名義で手形行為をすることを知りながら、得央に右印鑑を貸渡し、もつて、同人による本件手形の振出偽造を容易ならしめてこれに加功したにとどまり、カヨ子が単独で本件手形を権限なく振出して偽造したものでないことは勿論、得央と共謀のうえ本件手形を権限なく振出して偽造したものでもないというべきである。

(二)  右(二)(追認)について

前説示のとおり、カヨ子は単独で又は得央と共謀のうえ、本件手形を権限なく振出して偽造したものではないから、右(二)の抗弁中、控訴人はカヨ子が権限なくしてした本件手形の振出行為を追認した旨の被控訴人の主張事実は、前提を欠くものであつて、失当たるを免れない。

また、右(二)の抗弁中、控訴人は得央が権限なくしてした本件手形の振出行為を追認した旨の被控訴人の主張事実については、全証拠をもつてしてもこれを認めることができない。もつとも、≪証拠≫によれば、控訴人は、妻カヨ子が控訴人の印鑑を控訴人に無断で得央に貸したことをその一か月以内に同女から聞き及び、同女を叱責したことがあつたが、昭和五三年夏に至つて、得央が右印鑑を使つて本件手形を振出偽造していた事実を明確に知つたところ、同人を呼んでその責任をとるよう申し向けたが、同人から「本件手形の所持人である被控訴人に対して本件手形金中一五〇万円を入金しており、あと五〇万円の入金をすればいいということで話がついている」といわれ、同人が本件手形金の決済をするならば右振出偽造につきこれ以上問題にするまでもないと考えていたこと、ところが、控訴人は、得央が本件手形金の決済をせず、その後被控訴人申立による本件手形金の支払命令の送達をうけたため、得央に対しその支払責任をとるよう申し向けるとともに被控訴人に対し右支払命令につき異議を述べたが、それは昭和五四年八月ころのことであつたことが認められるけれども、右の如き事情をもつて、被控訴人の右主張事実を肯認することはできないというべきである。

(三)  右(三)の(1)ないし(3)(表見代理)について

まず、右(三)の(1)と(2)の各抗弁について検討するに、その各抗弁はカヨ子が本件手形を権限なく(又は権限を踰越して)振出したことを前提とするものであるところ、その前提事実自体が認められないこと前説示のとおりであるから、右各抗弁はその余の点につき判断するまでもなく失当たるを免れない。

また、右(三)の(3)の抗弁について検討するに、≪証拠≫によれば、控訴人はかねてより昭和五〇年ころまでの間、控訴人の海運業の経理事務を弟得央に担当させ、同人に指示して控訴人の印鑑を使つて控訴人名義の手形や被控訴人との間の取引文書の作成、被控訴人に対する手形割引依頼等の事務をさせていたことが認められるが、それ以上に、控訴人が当時得央に対して手形行為につき包括的若しくは個別的代行権限を授与していたことを認めるに足る証拠はないから、民法一一二条適用の前提を欠くものといわざるを得ない。仮に、控訴人が当時得央に対し右認定の事務処理をさせていたことをもつて民法一一〇条の基本代理権授与に準ずるものと解し、かつ、被控訴人において得央が右権限を踰越するとともに右事務処理権限消滅後に本件手形を振出したとして、本件につき民法一一〇条、一一二条の重畳的適用を主張するとしても、同法条により保護さるべき第三者とは手形行為の場合でも直接の相手方に限られると解すべきものであるところ、本件においては、被控訴人が本件手形の受取人である親和興業から本件手形の裏書譲渡をうけたことを被控訴人において自認しながら、親和興業が得央に本件手形振出の権限があると信じ、かつ、そう信ずるにつき正当事由のあつたことを被控訴人において主張立証しないのであるから、この点で結局民法一一〇条、一一二条適用の前提を欠くこととなるものというべきである。

(四)  右(四)(本件銀行取引約定書の第一〇条四項の約定)について

控訴人が被控訴人との間に昭和四九年七月三一日本件銀行取引約定書をもつて銀行取引契約を結び、その約定書の第一〇条四項には被控訴人主張内容の定めがあることは当事者間に争いがない。

そこで、右条項は被控訴人が第三者との取引により取得した控訴人名義の偽造手形の場合にも適用があるかどうかについて検討するに、≪証拠≫によれば、本件銀行取引約定書は銀行である被控訴人が控訴人に対し金銭の手形貸付、手形割引等の金融取引をするについての基本的な約定書であることが認められるから、本件銀行取引約定書第一〇条四項にいう「偽造」の手形とは被控訴人が控訴人との右金融取引により取得した控訴人名義の偽造手形と解するのが自然であるのみならず、右条項を含む本件銀行取引約定書の如き銀行取引約定書は一般に銀行とその取引先との間の銀行取引契約に際して作成される定型的な約定書であるが、もし銀行が取引先甲との取引により取得した他の取引先乙名義の偽造手形について乙との関係で右条項が適用されるとすれば、当該手形の偽造行為につき乙に帰責事由があるかどうかに拘らず、偶々銀行が甲から乙名義の偽造手形を取得することにより、乙が本来負担する理由のない当該手形上の責任をも含めてその一切の責任を、一方的に負担することになる結果、乙としては不測の債務負担を強いられ、その金額如何によつては乙の経済的活動を根底からくつがえす危険があり、合理性を欠くものといわざるを得ないこと、他方、銀行が甲との取引により偶々乙名義の偽造手形を取得することとなつても、その取引上、銀行は甲に対し当該手形上の権利や他の何らかの担保的権利を有する場合が通常であるから、右の偽造手形について乙との関係で右条項を適用すべき経済的要請は大きくないと考えられることなどを併わせ考慮すれば、本件銀行取引約定書の右条項は被控訴人が第三者との取引により取得した控訴人名義の偽造手形の場合には適用がないものと解するのが相当である。そうとすれば、本件手形は前記のとおり得央によつて控訴人名義で振出偽造された手形であるが、本件手形は被控訴人がその受取人である親和興業からの割引依頼に応じて取得した廻り手形であることにつき当事者間に争いがないから、右条項は本件手形につき適用される由がなく、したがつて、右(四)の抗弁は採用することができない。

3  さらに進んで抗弁3について判断する。

控訴人がかねてより海運業(砂利採取運搬業)を営み、その事業のため昭和五〇年ころから妻カヨ子に会計事務などを担当させていたこと、そして、控訴人が右事業の性質上遠隔地に長期間出張する関係もあつて、妻カヨ子が控訴人の印鑑(取引印)を預かり、控訴人の指示により、右印鑑を使用して控訴人名義の取引書類を作成し、また、受取手形の裏書欄の控訴人名下に右印鑑を押捺したうえ、これを取引銀行である被控訴人の佐伯支店に持参して手形割引をして貰うなどの手形関係の事務にも従事していたことは前記認定のとおりであるから、控訴人と妻カヨ子の間には、右事業に関して、雇用契約が認められないとしても使用者と被用者の関係があるものというべきである。そしてカヨ子は、控訴人の右事業に関して控訴人の印鑑(取引印)を預つて右の如き手形関係の事務にも従事していたものであるが、本件手形は、カヨ子が単独で、若しくは得央と共謀のうえ、権限なく振出偽造行為をしたものではなく、単に得央に対して控訴人の印鑑を貸渡し得央の振出偽造行為を容易ならしめてこれに加功したにすぎないところ、カヨ子の右印鑑貸渡行為が被控訴人に対する関係で、単独の不法行為を構成し、或いは控訴人の被用者でない得央の振出偽造の不法行為とともに、カヨ子、得央両名のいわゆる共同不法行為(但し共謀による共同不法行為でないことは前示のとおりである)を構成するとしても、カヨ子の印鑑貸渡行為は、その行為の外形から客観的に観察して同女の前示職務の範囲内にあつて控訴人の事業の執行につきなされたものということができないので、控訴人は、同女の使用者として民法七一五条の責任を負担すべきいわれがなく、したがつて、抗弁3については、その余の点の判断をするまでもなく、採用することができない。

三  以上のとおり、被控訴人の抗弁はすべて理由がなく、被控訴人は控訴人に対し当座預金の払戻金二二〇万〇五四七円及びこれに対する払戻し請求後の昭和五四年七月一一日から完済まで商法所定年六分の割合による遅延損害金を支払う義務があるから、控訴人の本訴請求は正当としてこれを認容すべきものであるところ、これと反対の趣旨の原判決は失当であるから、これを取消して被控訴人に右金員の支払を命ずる

(裁判長裁判官 西内辰樹 裁判官 谷口彰 大沼容之)

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